もったいない
もう、2年以上前の出来事です。
運転を習い始める前のことです。
今まで特に誰にも話さなかったのは、その時に、もう二度と違反で捕まらないでおこうとか、公道でやたらスピードを出そうとしないと思い、なんだかこう誰かに、というものでなく、なにかに漠然と憤るような気持ちになりましたが…
その時には、公道で運転を楽しむということが上手にできていなくて、ひょっとすると今よりスピード出さないと楽しくないのかな、こりゃ困ったなという思いもあって、どうやって日常の運転を楽しめば良いのか、目的が定まらない決心みたいな状態になっていて、余計に人には言えませんでした。
その時、免停の期間決定のお沙汰が出る日でした。
取り締まられた速度は時速60キロと少し。
40キロのネズミ捕りにかかりました。
1年間に2回かかってしまい、免停です。
既に簡易裁判はすみ、ソコソコのタイヤワンセットぶんくらいのお金を払い終わっていました。
その日は免停期間などの決定をするのに面談がある日でした。
試験場の建物に出向き、順番に事情聴取、異議申し立ての機会があります。
取り締まり自体に問題を感じたのであれば異議を唱えることも可能ではあります。
私が取り締まりを受けたのは、住宅地の中の坂を登りきって、下りかけたところです。
その先には通学路で、当時信号のない横断歩道があり、そういう意味で事故抑止のための取り締まりだと自身は感じていました。
必要な取り締まりだと思っていました。
面談して下さった男性は、通学路ということはご存じないので、「下りですね」と眉をしかめました。
それがどういう意味であったのか、わかりませんが、私が、時々ネズミ捕りやっていると知っていながら引っかかった原因は下りだからではありませんでした。
以前の住居の周辺の環境が、30キロ制限みたいな住宅地か、幹線道路で速度制限を守っている方が危ないような環境で、40キロ制限のところを走った経験もほとんどなく、広い道なら前が空けば60キロ越えくらいで走るのが常になっていたからです。
引っ越してから環境が変わって40キロ制限が増えたのです。3年で3回ほど捕まり、それがなぜかを赤切符二枚貰ってから考えた自分が鈍い。
どうしてそれを話したかは忘れてしまいましたが、だから飛ばしていいわけではないけれど、と前置きした上で、もう少しかいつまんだ形で相手の方にお話しして、運転は好きだけど今は40キロで楽しく走れる(様にしたい、を敢えてそう言った)と話しました。
ああいう時に、あんまり上手な話し方ではないし、相手がそれをどう受け取ったのかはわかりません。
本当はもっと形式的なものかもしれません。
ごねてる人もいました。
ただ、私自身は、もうこういうこととの追いかけっこはごめんだと思いました。
そして免許を預かられて帰宅。
坂ばかりの土地で自転車生活して腰痛に見舞われました。
後日、免停解除の前に講習がありまして、いろいろ講義を受けるわけですが、合間の時間に、廊下のベンチで、受講者同士が話していました。
若いお兄さんは事故で講習を受ける羽目になったのですが、本当の原因になった車は無傷で逃げてしまい、避けた自分が事故になってしまったとのこと。
それを、うんうん気の毒にと聞いていた飲み屋のおねいさん風の女性は、ふと思い出した様に、
「あー、アタシそういや裁判所行ってないわ〜あははー」と高笑い。
そして、講習と、シュミレーターを経験し。
シュミレーターは、酔う人が多いので無理な人はやらなくて良いです、とのお達しが⁈
建物の横には広大な車の練習場がありますが。
一連の出来事を考え、自分の身を守る努力をしようと思いました。
お上が悪いと言いたいのではなく。
何が黒で何が白なのかということを問題にしても私には答えを出す知識も、改善する力にも乏しい。まず自らの身を守ろうと思いました。
こういうところに関わる時間がもったいない。
自分なりに努力してみよう。
当たり前のことなのかもしれませんが、改めてそこを意識して、スピードだけに頼らない楽しさを考えないと、また数年したら同じことになっていそうな気がしたのでした。
事故なく、怪我をさせることもすることもなく、取り締まりに気づく努力(取り締まりを見かけたら、なぜそこなのかを一度考えてみる)、スピードに頼らず操作を愉しむことを心がけ、以来違反は一度もありません。
ゴールドに戻るのはいつだろうなー(苦笑)
気が緩まない様にしないと。
ニューフェイス
ずっとうちの犬が敷いていた相棒が(敷いていた画像がないんだが^_^;)
ずいぶんペラペラになってきて
新しい相棒を入手しました。
モチモチでのびのびな新しい相棒です。
(笑)
しなやかに(ひとりごと)
暑さが若干和らいで、一息つける感じです。
夏休みの我が家の若者たちは惰眠をむさぼったり(長い時間連続で眠れるというのは若いと近年気づいた!)
課題に悪態をついたり
この時期よくある怪談系の動画を見てみたり(笑)
面白いんですよ、霊を察知して数値化するアプリがあるらしく、彼らが面白がって使ってみたりしてて(笑)
若いというのは苦しげであり楽しげであると、そう思っている私は歳を食ったのだなと考えると、なんだか可笑しい。
面白い。
私が彼らにいろいろ言うことも、もっと以前から、うるさいなと思っているのはわかっていましたが、最近は仕方がない聞いてやるかとどこかで思っているのがわかる。
人生は、君たちが、私たちが思っているほど簡単なことではないのよと、心の中で思いながら、つたない老婆心を披露する、そんな自分が可笑しくも哀しくもある。
お盆も送り火の頃となり、終戦記念日も過ぎました。
我が家の周辺は、ほのかに堆肥の匂いがして、そこかしこで秋の畑の土作りが始まっているのかなと思っています。
生まれ育った三重県北西部の田舎と、知多半島では、田植え稲刈りの時期がひと月ほど違うのだと、近年気がつきました。
三重県の方が稲刈りが早いです。
なんにせよお米は美味しいです。
新米楽しみだ。
終戦記念日前後の報道はいつものことですが、今年は一層熱を帯びている様相です。
夫の家系と我が実家の家系は戦争で長男を失いました。船ごと沈んだのと、ニューギニアから帰って来なかった。
その後両家がどうなったのかは、この15年でいろいろと聞く機会がありました。
昔は長男が一家を背負い、いろいろ注がれる時代であったから、その長男を失うことで残された一族に様々な問題が起き、うまく行かなければその影響が我々の代にも影を落としてくる。残された人間が惑う。
でも惑ったのは戦争のせいだけではない。
そう感じるようになりました。30代に入った頃でした。
自分の代で消化、昇華、子供には送らないと、偉そうに心に決めて30代を駆け抜けました。夫の理解と協力と車の楽しみがなければ踏ん張れなかった。
夫も親が必死に守ったものから背負ったものを心に抱えています。
親が耐え忍んだものを、大切にしながら、もっと違う形で、我々の人生を生きようと2人で決めました。
戦争を肌で知っていた、亡くなった夫の両親を順に見送り、その次に、終戦間際と戦後生まれの自身の両親と15年ぶりに関わるようになってから5年。
肌で感じてきた、私の戦争。
知らないことはたくさんあるのは不満。
全部ひけらかせばいいかはわからない。
日々を送り、家族の食を支え、家族を見守る。
無用に声を荒げない。折れないけれどしなやかに。そして逃げない。
楽しそうだ
お盆もそろそろ終わり。
五山の送り火は明日ですね。
早起きせんでもいい時期しかゆっくりテレビも見れないなとふと思い立ち。
ハードディスクレコーダーの録画リストの中にラ・フェスタ・プリマヴェーラ2017の番組発見。
楽しそうだなあ。
見物に行ってみたいものですね。
のんびり盆休み
世間ではお盆休みです。
我が家は仏壇がある家なので帰省する必要もなく。帰省や挨拶に来る人もなく。
その辺は、この15年ほど、いろいろ見てきました。ここへの移住は両家のリセットへの祈りを込めて。
我が家、亡くなった昭和一桁の夫の両親が生真面目に生きてきたおかげで我々の今があります。
私たちも人並みに維持していかなければ。
夫は盆暮れ正月は普通に仕事がありますし、お盆は自宅でのんびりです。
娘の宿題がホームプロジェクト。
家庭の何かを家族のために改善してレポート提出。
リビングの配置換えと不必要なものの処分だけで、まあ、なんということでしょう!
車椅子の動きもラクラクなひろびろ空間が!
(実行は親子3人で必死こいてヘトヘトだけど嬉しい!)
娘がわらびもち作り。
墓参りの帰りにショッピングセンターのフードコートで。
親子4人が好みバラバラやん(笑)
お金をもってそれぞれ好きなもん買って集合っていうのがサクサクできるようになったことに感慨を覚えてるかあちゃん。
今日買ってきた水まんじゅうです。
かわいい!
そして、若い時にお世話になった方が先日亡くなられて、残された奥様が続けている店に顔を出し。
とりあえず奥様がカラ元気でもお元気で良かった。
とにかく忙しい日々を過ごしています。
車洗いたい!
私にとっての運転の楽しさ
8日午前5時半の西の空です。
台風の雲とその向こうの空の境目がクッキリと
もう何日も経っているのに、楽しかったなあ〜…って思っているスズカフルコース。
とりあえず最初の目標はなんとなくクリアした数字が出たものの、自分の操作には不満だらけです。
目算あっての思い切った速度のターンイン、それ自体は自身にとっては、大きな大事な進歩です。素直に嬉しい。
でも、他にできてないこといっぱいあります!
答えははっきりしないところもあるけれど、日を追うごとにあれはできてたか、ここはどうだったかと。
まだまだ今の車の状態でいけるはずです。
精進せねば。
タイムだけが目標ではないですが、タイムは結果ですし、例えばストレートの最高速のアベレージが以前より下がっても、今回タイムは同じレベルが出てる、というのも面白かったことです。(最高速が下がった原因も気にはなりますが)
そういうのを追いかけて考えているのも面白いです。
その一方で「楽しみ」というのはタイムに関係ないところにもあると思うようになりました。
ユイに習いに行くようになり、走行中にタイムを見ることをやめました。(最終的には見ても冷静に受け止められればと思いますが)
そうすると、サーキット走って、後でタイムを見たら、昔よりタイム出ていなかったとしても、走っている最中が楽しいのです。
なぜかなあと、自分でも気になって考えてみたのですが、最近その理由はわかったような気がします。
物理を越えて車にとっての無理をして走ると、踏んだ分だけ止まらない、もしくは加速しない、切った分だけ曲がらない、ということが起きてきます。
〜しない。それは操作が間違っているなら、自分の気持ちが〜しない、と思っているだけで、車にしてみたら、「無茶言うなや」ってところですよね(笑)
ユイで運転を習って、物理を大まかにでも知って、それを超えないように、物理の理屈にかなう形で速くなれないか、自分が違っていること、足りないことは何か、ということを追いかけるようになって、自分が至らないぶんだけタイムは出ないのですが、代わりに無理もしなくなりました。
そうすると、操作のぶん止まらない、加速しない、曲がらない、というストレスから解放されました。
私 はユイで習い始める前に、西浦では、初めての走行から12回目までに、6秒余りタイムは短縮したけれど、楽しさよりも苦しさが大きく、それが習いに行ったきっかけになりました。
その時の状態では、もうこれ以上は速くならないと感じる、踏んだぶんだけ加速しない…などなど。そうならない車の動かし方をきちんと知りたかったのです。
元々タイムよりも人馬一体が憧れでした。
何が無理で何が無理でないのか。
その境目は私にはまだわからないことはたくさんあります。
今の操作は高次元ではないので、遅いのですが、それでもものすごく楽しいのです。
その楽しさは宝物。
ステップアップはこれからの課題です。
細分化・自己評価・経済感覚
昨日のスズカ走行後、一日経ってからなんとな〜くあちこちがほのかに筋肉痛なのは気のせいでしょうか。あくまでほのかに、なんですが…。
以前はフジでのスクール参加から帰ってくると、もっと疲れてたような気がします。
慣れるもんですね。
疲れ方が悪くない方の疲れ方な気がします。
200馬力問題、引きずっておいて答えがでてません。
昨日スズカに行って思ったのは、スズカ走るなら今の車でももう少しパワー欲しい。
素直に思いました(笑)
パワーがない車が走ってはいけない、とは思わないです。
あったらもうひとつ楽しいかなと思うのは事実です。
今の車で、高速コーナーではスロットル入れないと外へ出ちゃうんじゃないか、という速度で侵入できるようになってきて(といってもタイムがタイムなので、まだこれから)、これで軽くてパワーがあったら…と思うと背中がそわぁっとしますが。
ただ、その、何もしないとコースから出ちゃうんじゃないか、というのを、出ないようにする確信をもってコーナーに入る。
というのが物理の考え方で、それを実践するっていうのはこういうことかと、恥ずかしながら初めて実感して、ビビりつつも面白いと思っている自分がいます。
(あくまで私の頭程度の理解なので、わかっているつもりで間違っているかもしれないとお断りしておきます)コーナリングの横Gだけにしてしまうと車はコーナーの外へ外へと向かうけれど、それをスロットル開けて推進力を加えれば、実際の軌道は推進力と外へ向かう力がバランスしたところに落ち着く。そこに舵角とか接地力が絡んでくる。
くらいのイメージはもって走っています。実践はまだまだですがぁ…。
やってみると、ほんとに物理なんですよね。
ちょっとでもできると、感動してしまいます。
(これって、低速でも同じことが起きます。時速60キロくらいでも起きるし、40キロで大きなカーブを曲がっている時にスロットルを開けたり閉じたりすると、微妙に車の軌道が変わるのがわかります。
ベースはFFでもFRでもなんでも一緒で、そういうのを日常でずっと試してきて、やればできるはずだって、思うのに2年かかっちゃいました。自分の能力ではなく、車にここまで連れてきてもらったと思っています。ありがたいです。)
200馬力を欲しくなくなった1番の理由は、200馬力がスポーツタイプのグレードで、その普通のグレードが1.6リッター112馬力 1.2トン弱。
値段が半分でした。
それを見た途端にそちらが現実的に見えてしまったのかもしれません。
あとは、今の車でできてないことだらけで、今のパワーの中で細分化することだけでも面白くて精一杯だからかもしれません。
ただ、車を楽しむ、ということをもう一度考えてみた時に、欲しくなくなった理由は、200馬力が高級品に見えた、単純に自分の貨幣価値の問題なんだな…とも思います。
車を操る、という面白さから言えば200馬力は楽しいかもしれない、とやはり思います。それもその車によりけりかなあ…。わたしにはわからないことだらけです。
私は何の為に走るのでしょう。
いつか318ともお別れする時がやってくると思います。
それは現実的に考えてはいます。
精一杯今を楽しみながら、この先いろんな物に興味をもって、やれないとしても、知りたいので見に行くということも考えていて、秋には古いイタ車のイベントを見に行ってみようと思っています。