カメだって全速力

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しなやかに(ひとりごと)

暑さが若干和らいで、一息つける感じです。

夏休みの我が家の若者たちは惰眠をむさぼったり(長い時間連続で眠れるというのは若いと近年気づいた!)
課題に悪態をついたり
この時期よくある怪談系の動画を見てみたり(笑)
面白いんですよ、霊を察知して数値化するアプリがあるらしく、彼らが面白がって使ってみたりしてて(笑)

若いというのは苦しげであり楽しげであると、そう思っている私は歳を食ったのだなと考えると、なんだか可笑しい。
面白い。
私が彼らにいろいろ言うことも、もっと以前から、うるさいなと思っているのはわかっていましたが、最近は仕方がない聞いてやるかとどこかで思っているのがわかる。

人生は、君たちが、私たちが思っているほど簡単なことではないのよと、心の中で思いながら、つたない老婆心を披露する、そんな自分が可笑しくも哀しくもある。

 

 

 お盆も送り火の頃となり、終戦記念日も過ぎました。
我が家の周辺は、ほのかに堆肥の匂いがして、そこかしこで秋の畑の土作りが始まっているのかなと思っています。
生まれ育った三重県北西部の田舎と、知多半島では、田植え稲刈りの時期がひと月ほど違うのだと、近年気がつきました。

三重県の方が稲刈りが早いです。
なんにせよお米は美味しいです。
新米楽しみだ。

 

 

  終戦記念日前後の報道はいつものことですが、今年は一層熱を帯びている様相です。

夫の家系と我が実家の家系は戦争で長男を失いました。船ごと沈んだのと、ニューギニアから帰って来なかった。
その後両家がどうなったのかは、この15年でいろいろと聞く機会がありました。

昔は長男が一家を背負い、いろいろ注がれる時代であったから、その長男を失うことで残された一族に様々な問題が起き、うまく行かなければその影響が我々の代にも影を落としてくる。残された人間が惑う。

でも惑ったのは戦争のせいだけではない。
そう感じるようになりました。30代に入った頃でした。
自分の代で消化、昇華、子供には送らないと、偉そうに心に決めて30代を駆け抜けました。夫の理解と協力と車の楽しみがなければ踏ん張れなかった。
夫も親が必死に守ったものから背負ったものを心に抱えています。

親が耐え忍んだものを、大切にしながら、もっと違う形で、我々の人生を生きようと2人で決めました。


戦争を肌で知っていた、亡くなった夫の両親を順に見送り、その次に、終戦間際と戦後生まれの自身の両親と15年ぶりに関わるようになってから5年。
肌で感じてきた、私の戦争。
知らないことはたくさんあるのは不満。
全部ひけらかせばいいかはわからない。
日々を送り、家族の食を支え、家族を見守る。
無用に声を荒げない。折れないけれどしなやかに。そして逃げない。