カメだって全速力

このブログの続きは、カメだって全速力第2章「る〜さんと駆ける」(mamogame.hatenadiary.com)に移行しています。リンクからどうぞ

スゲー!!

  前々から内容を検討していたチラシをカタチにしてみようと思い、数日、パソコンでいろいろやってみたのだけど、どうしても途中で処理しきれないのかフリーズしてしまう。

パソコン自体が新しくないからかなあ…

 考えてみたら、自分のアイポン(iPhone)で使えるアプリないのか?

 

ありました。

アイポンは小さいMacなんだな。

パソコンと同じアプリがあって…

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こんなひな形が山盛り。レポートからプレゼン、名刺まで。

えらい世の中になったもんだー(^◇^;)

とりあえずやってみる的な使い方で、なんとか作成、プリントアウト…できてる〜(^◇^;)

(^◇^;)(^◇^;)(^◇^;)

おばさんびっくり‼️

どえりゃあ世の中になっとるがね〜

 

中学生がおとーさんとケンカして、パワーポイント使って反撃するプレゼンを作ったっていうのをテレビでみたことあったけど、確かにできるかも〜(^◇^;)

そこでパワーポイントっていう言葉を知ったシュフ〜(^◇^;)

(・_・;

 

速い、のイメージ

 6月になりました。一昨日くらいから蒸し暑いです。

寒いよりも、凍えそうなのよりも、くっそ暑いのよりも、蒸し暑いのが苦手です。

 

その蒸し暑さの中で、楽しみなのがあじさい。

咲き始めくらいが1番良いです。

今年は我が家のは青さがちょうどいい好みの感じになっています。

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 少し前から、どうして自分がサーキットを走るようになったのか…を書こうとしているのですが、うまくまとめられずにいます。

きっかけはいくつかあったような気がするのですが…いざ文章にと思うと…

書いてみてもなんだか違うような気がしてボツ(笑)

 

 

 MT車を運転するようになって22年ほど経ちます。

その間に国産MT、AT

輸入車MT左右H

輸入車AT右H

は運転経験あります。

たまにワイパーとウインカーがごちゃごちゃになるものの、なんでも、とにかく座れば、あれやこれやしながら動かすことはします。

パドルシフトとか、ステアリングにいろんな操作系のボタンがついているとかいうのは、経験がないです。

アルファのクラッチレスはなんていう名前でしたか…セレスピード

あれも代車で経験させていただきましたが…^^; すぐには慣れなかった。

 

 

 思い返せば、15年ほど前、アルファの155に乗った時が「速く運転したい」と心の何処かで思うようになった時かもしれません。あの頃まだ下の子が2つくらいで、その子が今日17歳になりました。 

  以前は育児と年寄りの看病で病院通いが重なり、なかなか趣味を考える時間が持てず、10年ほど前は高速道路では追い越すのに速度三桁にのせるがいっぱいいっぱい。

航続時間としては1時間で頭痛が…そんなふうでした。

あんまりでかけることもなかった。

 それが今や(笑)サーキットだよ。

 

 

でも、今だって結局介護に少しだけど関わっているわけで。

介護を続けながら仕事も続けている父です。そのサポートをしています。

母は父の仕事に翻弄され続けました。神経を病み、結果脳梗塞です。

ただ、それは母が父の仕事を前向きに理解しようとしなかった結果でもあると私は思い母の弱さだと思っています。父はそれを理解し、いろんなものと今戦っています。

 

父の仕事の向こうには、沢山の教師と、その指導を受ける子どもたちが居ます。

若い頃から、親にはある意味苦労という経験をもらったけれど、時折父の背中の向こうを想像するのです。

代わりがいない存在になってしまった父、後継者を待つ父、家族への何かを背負ってしまった父。その父もかつて後継者であったこと。

私にとっては、父はただの父であるわけで、それも大事なことなのですが。

おかしな人ですよ、ほんとに(笑)

親の苦労、というのは自分が親になるか、自分の視点を離れたり、時代背景を知ったり、自分が歳を重ねることで見えてくるものがあります。

親はそれをわかった上で、じっと待っているのかもしれませんし、考えていないかもしれません。

 

 

 今、私は諸々考えると働きには出られないけれど、その中で、何か意味のある、自分が楽しくて納得できる事を、できる範囲で頑張ってみようとしています。

家族が皆、覚悟を決めてみんなで新天地に集まってきて5年すぎ、なんとか家族が自分の譲れないものを、みんなで協力し合って守っています。

子どもたちはそういう大人をどう見てくれているのか。

少なくとも「人」が暖かい土地だと感じてくれてはいるようです。

 

趣味の時間が持てるってなんて幸せなことでしょうか。

それだけでもありがたいです。

 この先、場合によってはここまでできなくなる可能性もあるから、その覚悟もして、

だからこそ今できることを精一杯。 

 ごめんなさい、まだ、このブログに広がりがあまりないのを良いことに独り言が長すぎます。

 

 

 

話は戻って。

速さってなんだろう。

 

スクールに通うようになって、速さに対して思うことが変わりました。

それを言葉で説明するのはむつかしいです。

むつかしい…いや…断言できないと言ったほうがいいかもしれません。

私自身は入り口がみえただけ、のような気がします。

 10年前、5年前に思っていた速さは情熱、パッションの様なものでした。

速さのひとつの要素は、コーナリングの中で言うなら、失速しないこと、なのかもしれません。

でも、それには情熱だけでは出来ないことがたくさんありました。

 今も心に情熱はあります。

 

 

 

 1年と少し前、鈴鹿フルコースで、今までで1番良いタイムがでました。

あの日は2本走りましたが、1本目はその時の状況(台数とか、一部のエントリー者の行動に不安を覚えた)に怖くなり、焦ってしまいました。

2本目は1本目で反省をして、とても心穏やかに、丁寧に走りました。無心でした。

 あの時、もちろん出来てないことはあるけれども、これが今の自分のベストだと思いました。迷いがあまりなく、自分がしようと思ったことをちゃんとしていて、充実感と確実感がありました。

  あんな幸せなクールダウンの時間を毎回迎えられる様になりたいです。

 

 

 あとでタイムを見たら、結果は今までのベストタイム出たので嬉しかったけれど、タイムではない幸せ感がとても印象に残っています。

 

 

 

タイムは確かに自分の実力を表しているのだろうと思います。

ただ、自分が目標とするタイムをいくつに設定するのか、私には基準がまだもてません。数字や物理、用語、どれをとっても人に何かを訴える、表現する、そういう方法がいまひとつ見つからない。言葉を使っても使った自分がわかっていない、という不安が拭えません。

ひとえに経験不足。簡単には解決できないと思います。

 

一定のペースで周回を続け、自分の操作が間違っていない、と自信を持てることのほうが、今の自分には大切な気がします。 

自分がした操作の動きと、車の挙動、それを感じることが、どれだけ出来ていなかったか、今になって改めて思うのです。

愕然とするけれど、それを感じることが出来始めると面白くてたまらない。

まだ奥があるだろうなと思うのです。

それはきっと、時間がかかっても速さに結びつくのではないかと思います。

 

 

 

 

初夏となり、花壇や畑も秋まで咲く花を植えました。

草取りが行き届かない、気持ちはあれど腰が傷んで、PCに向かいました。

 

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マリゴールド 

 

 

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名前なんだったっけ?いろいろ。

秋にはもっと株が大きくなってますね。

 

 

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ローズマリー バジル、イタリアンパセリ

食用(^o^)

 

 

 

 

 

 

 

DIYで切りぬけろ

 動くことに関する整備は基本、車屋さんにお願いしているけれど、少しずつ、他の部分で自車318のDIYに手を染めている。

一番最近やったのは、リヤの三角窓のモールのゴムが劣化してひび割れてグサグサな所。調べてみたところ、取り替え依頼したら多分片側ン万の世界。
モールを取り寄せても、窓ガラスと三角窓の電動の開閉装置部分を脱着する必要がありそう。そりゃ私には無理。

そのモールは、ないと雨漏りするという類のものでもないらしい。
かといって、取っ払ってしまえるものでもなさそう…
自車を見ながら時々考えつつ数ヶ月。

 結局、DIYで失敗しても、ちゃんとモールの取り替えを依頼すれば、その部分はモールの土台ごと剥がされるから、体勢に影響はなさそう。覚悟してチャレンジDIYやってみようという事で。
ホームセンターでクルマ用のゴムの充填材を買い、グサグサになった部分を埋め、ストローの先を半分に切ったものでならした。
やった当日は、ゴムがテカテカして素人仕事が目立ち、完全にやらかしたと思ってかなり落ち込んだが、一晩経ったら乾いて落ち着き、まあこれで良いかと思い、そのままに。

(おすすめはしません。多分ちゃんと取り替えた方がいいです。)
あれから2ヶ月近く経ったけど、今のところ誰にも指摘は受けてない。気づかれてないかどうかはハテナ。

 

他には、助手席の着座センサーが断線したらしく、助手席のエアバッグの警告灯がつきっぱなしに。
本来着座してないとエアバッグが開かないらしいのだけど…
あってほしくないが、エアバッグが開く状況を考えた時に、助手席の着座の有無で助手席のエアバッグを温存する必要あるんかな…わからないけれど…それよりも助手席に人がいたのに開かない方が困る。

なんで着座センサーなんてあるんだろう??

 

いろいろ調べたら、ネット上では意見が2つに分かれていた。
放置と、常に着座状態に車をごまかす方法。
前者の放置は助手席のエアバッグが開かないと判断。後者をとり、夫が抵抗を施工してくれた。


そのやり方の一部始終を説明してあった所の名前が「切り〇〇る喜び」というタイトルで大笑いさせていただいた。

オーバーテイク

   スクールに参加し始めて1年半経った昨年末。

同じ愛知県在住の人とスクール参加中に意気投合。

今年の2月に行われたユイレーシングスクールのスクールレースに、チームを組んで出ました。

ユイレーシングスクールのレースは「日本一敷居の低い」と主催者自らおっしゃるレースになります。

年間数回、普段スクールを行っている場所でもオーバルレースが行われています。

ずっと、母のお守りの日と重なり、都合が合わせられなくて出られないでいます。

  今回はフジのショートコースで行われるエンデューロとスプリントのうち、

130分のエンデューロの方に参加しました。

車は私の方を出しました(私にはレースの中で相方の車高調&ハイグリップを乗る自信がなかった)。

 エントリーリストからするに、ポテンシャル的に最下位ほぼ確定ですが、なんていうのか、普段からスクールで聞いている話とか、スクールで流れている空気からすると、まったく参加するのに躊躇はなかったです。

スクールを受講したことがある人なら誰でも参加できる。

それならやってみなきゃ損です。

唯一気になっていたのは、どうやって譲るか。

しかし、終わってみれば、この「譲る」という考え方がある意味大きな間違いでありました。

 

 

 

フジのショートコースは、その約1年前にツーデースクールに参加して走っていました。

なので、理想ライン&操作は過去に指導を受けています。

 

焦って走るのでなく、130分きちんと走って、前回走行時の心残りを解決し、チームを組んだことでお互いに向上する結果になれば…

そして、周りのポテンシャルの高い車に対しては、自分が乱れないことが1番迷惑にならないであろうと、個人的にはその2つを考えていました。

 チームを組んだことで、お互いがお互いの走りをチェックしたり、よかったことはたくさんありました。

 

しかし、走行途中で講師から指摘が入ります。

後ろから抜かれる時に遅い方(私達)がラインを外している。

レース前に「遅い車がラインキープ」ということを全員に言われていたのですが、徹底しきれていませんでした。心情的に、そこで譲ることで折り合いをつけたくなってしまうのかもしれません。

迫って来るのが1台ならまだ良いが、左右から抜きに来られることもあるわけで、その場合は、遅い車が進路を変えるのは危険です。

本当にちょっとしたこと、と思ってしまうのですが、言われてみるとものすごく引っかかります。

その後それに気をつけて走りました。我慢して譲らないのもそれはそれで気を使いました。実は後で思えば、その時は「抜かれるタイミングの」基準がちょっと早すぎたんじゃないかと思っています。

 

遅いほうがラインキープ。

そう決まっている理由はシンプルで明確なんです。

抜くほうがポテンシャル、技術が高いわけだから、進路変更をして抜く。

 しかし、実際走行中となって来ると、いろんな場面があり、どうすれば良いのか迷ってしまうこともありました。

 

冷静に考えてみると、自分が進路を外すことを、抜きに来ている相手に伝えて了解を得ているわけではありません。それが1対1でなく1対2以上(背後に速い車が2台以上)ならなおさら、その意思疎通は瞬間では無理です。

そうすると、ラインを外して進路変更をした場合、誰と誰が折り合いをつけているのか。

自分と、自分の頭の中の相手。

相手とは何の意思疎通もありません。結局全部独りよがり。

自分の頭の中だけで折り合いをつけてしまっている。

指摘に対する私の回答に、インストラクターは頷きました。

 

 

 以前、サーキットで速い車と一緒になったら、

「譲ればいい」

「そのままにしていれば、向こうが抜いていってくれる」

2つの意見を言われた事があります。

どちらもウソではないと思います。

 スクールのインストラクターには、コースやレース毎にルールがあるから、それは、きちんと考え抜かれた理由があるから、自分の解釈をしないでそれを守るようにと教えられました。

現に譲るのがルールのサーキットもあります。

この出来事のお陰で、コース状況でそうなる、というのをすぐに飲み込めるようになってきました。

 

 今まではどうするべきか確信がもてませんでしたし、コース幅が十分あるのに、速い車が後ろから来ると譲っている、ということが自分以外にもよくありました。

 なので、譲らないと「遅いくせに譲らない」と思われたりしないのか、なんてことを考えていました。

 相手の経験値も判らない状態で、サイドバイサイドでターンインするのは勇気が要ります。ユイだと、コーナリングで挙動を乱さない練習や、サイドバイサイドの状況もあるので、緊張はしますがやってみようと思えます。

 

 とにかく、どこまで徹底ができるか、現場の状況がどういうふうか、というのは一律で語れないけど、説明がきちんとあったならそれに従おうと思います。

ルールが曖昧になっている場合は曖昧なものに身を委ねてるという風に思うしかなく、気をつける、しかできることはないです。

 

 

 

 いろいろ考えて思ったのは、確かに、遅い車がいないほうが、速い車は楽かもしれません。(スピードレンジに差がものすごくあればまた別ですが…。)

では、スーパーGTはなぜ300と500が混走なのか。

詳しくは知らないけれど、ニュルや、他の海外で行われているレースを見ていると、カテゴリーちゃうやんか、という車たちが混走している場合があります。

そんなに遅い車が害なら、混走にしなければいいことです。

しかし、そうしないのは、スポーツだから、なのかもしれない。

遅い車をかわして、それでも速いことのほうが上なのかもしれない。

スポーツってどこまでも上を目指すんだな…

単純に考えが足りなかった。

でも、ドンガメの妄想なので、説得力ないかもしれません(笑)

 

 

 

まあとにかく、いろいろ考えてみて思ったのは、遅い方は余分なことを考えずに、とにかくレコードラインを守って、自分のベストを尽くす走りをすれば良いのだと思いました。

遅いほうがより速く走れば、速い車が追いつく回数が減ります。

遅いのが申し訳ないのであれば、出来る限り速く走るしかないんです。

遅いほうがベストで走ればコーナリングスピードは大きく変わらない筈なのだから、ぎりぎりまでは抜かれなくて良いのです。

場所によっては、遅いほうがベストなら、その後ろでコーナーを抜けて、コーナーの出口で仕掛けるほうが安全で得策な場合があるとも考えられました。

 考えてみたら単純なことでした。

それよりも、遅い自分がルールを曲げ、進路を変えることで、お互いに、どう動くかを探る時間が出来て、結果、両方が何もしない時間が生まれます。

 

ルールをみんなでちゃんと把握して履行していれば、みんなで上を目指せるのかもしれません。

 

 

そう思うと、私は、あの時のレースにデメリットを持ち込んでいたのだと思います。

あれから、オーバーテイク成功の定義(前をゆく車と後ろから迫る車の位置関係)すらちゃんと認識できていなかったと、反省しました。

実際それを走りながらきっちり履行するのは、まだ自信がありません。

だからこそ、ラインキープに徹するべきですね。

 

そういう理由で、非力であることや、ポテンシャルが低いことよりも、ルールを守らないことや、整備不良であることのほうが、サーキットでも良くないことで、それは車が動くという意味では同じな、公道でも同じことなんだと思います。

ルールが全て正しいのか、という議論もあると思いますが、それはルールを見直す議論だから別のことになってしまう。

 

 整備不良にしても、自分だって突然故障することだってあるかもしれないですが、極力それがないように、お店の人に聞いたり、いろいろ気にしていることはあります。

詳しくないけど、頑張って覚えよう、知ろう、という努力はしようと思います。

 

特にノーマルの権利を主張する訳ではないんだけど、楽しいんですよ。サーキット。

できる間は、なんとか続けていこうと思いますし、時間がかかるかもしれませんが、仲間を増やしてサーキット集合!ってなれたらいいなと思ってコツコツやってきたいです。

ピッコロ的な車も乗ってみたい。

パワーのある車も乗ってみたい。

今度車が買えるのはいつだろう…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スクールだけど遊び場〜ユイレーシングスクールに参加を続けるワケ・その2〜

 その1からの続きになります。

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スクール10回の参加を経て、1番自分にとって財産になったのは、

「なぜ、その操作なのか」「なぜ、そうでなければならないのか」

ということを理解しようとすることが全てにつながり、操作において尺度を作ることができる実感です。自分の物差し(尺度)を持てるから、コースが変わっても、どんなときでもそれを使っていろんなことを判断できます。

その物差しを使えば、車のセッティングを確認することもできるだろうと期待しています。(私は自分で車をいじれるほどの環境も体力もありませんが、心強いお店に必要以上の迷惑をかけずに、自分にとって必要なことをしてもらえるという期待感を持っています)

 まだまだ小さくて測れるものがすくない物差しですが、「操作」がクルマ趣味の物差しづくりへの近道になると実感しています。小さな物差しは、まだこれからも時々修正を加えていかなければなりませんが、経験を積めば大きく育ってくれるはず。

 それと、ここまで参加を続け、まだ先を見ているのは、自分にとってユイは、スクールでもありますが、遊び場でもあるからです。

遊びに行っています。

めちゃくちゃ真剣に遊んでいます。

でも命を賭けることはできないので、必死で考えた上で向上心をもって遊びたいです。

みんな笑顔、みんなクルマと運転が大好き。

それを見ていて、なんとかその端くれにしがみつきたくて。

操作の「なぜこうするべきか」を理解して練習していくことで、今までどれだけ本で読んでも分からなかったことが少しずつ分かってきます。

 

「ジムラッセル」(シニアインストラクターがアメリカで講師の一員をしていたスクールの名)と検索をかけると、ルノー・ジャポン トムヨシダのブログ 第116回がどこかに上がって来ていると思います。(トムヨシダ氏がユイレーシングスクールの主催者でシニアインストラクターです)

  以前、ジムラッセルがどういうスクールなのかまったく分からなかったので、ネットで検索をかけていて、偶然第116回を見つけて読みました。

 私が、一人ひとりが物差しを持てる、と思う理由がそこに書かれていました。

 私は日本から出たことはありませんが、講師の書かれているブログや、ユイのサイトのmedia infoにある過去のメルマガのバックナンバーを読んでいくと、アメリカはどういうところなのかをふと想像したり、筆者が、日本の文化の中で、限られた条件の中で、日本人にどうやって運転を教えるかを、一生懸命考えてこられたんだと、私は感じました。

そして、私自身は、通っているうちに、自立や自己責任の良い面を学んでいるような気もします。

 

 

また別の機会に、オーバーテイクのことで書こうと思うのですが、自分の中に走り始めたときからずっと残っていた、

「ふつーのクルマでサーキットを走るのは無理なことなのか?」という疑問に、最近自分なりに答えが出ました。

 

 私にはポテンシャルアップの費用は殆どありません。

だから、そこ(ふつーの車で大丈夫?)を自分なりに納得したい。

 

 本当は、考える必要のないことかもしれません。

車の改造度がないことをを走行不可の条件にするサーキットはまだみたことがありません。それよりも過剰改造や安全性軽視、整備不良が走行不可の条件になっています。

 

 しかし、「いじってないと走れない、おもしろくない」そういう心情はそこかしこで耳にします。逆に、いじってあることを揶揄する話も耳にしたことがあります。

今後の為に、自分にとってはそれを納得することが、すごく重要だったのです。

  そして、サーキット行くほどのお金はないから公道で…はしない。と心に決める出来事が2年程前にありました。事故や公道スピンではありませんし、出来事自体は、多分誰にも詳しく話したことはありません。

そう考えるようになった理由も、ユイに参加する中で確信に変わりました。

 

(敢えて付け加えると、クルマのポテンシャルアップをみんな否定するのではありません。

普通の車で走ろうとすると、走ってもいいではないか、と公言すると、

ポテンシャルアップ否定の主張の様に取られているのでは、という不安を感じたことがあります。

単純に普通の車がサーキットに存在するのは無理なのか?という疑問です。)

 

 

 ユイのスクールに出かけていくと、 いろんな人やいろんな車がいて、考えさせながらも間違った方向へ行かないように見守ってくれています。

入り口を丁寧に指導してくれて、あとは本人が求めるかどうかで得られるものが変わってきます。

スクールですが遊び場でもあるような気がします。

すごく自由。だけどみんな真剣。

安全で速い。

私も安全だけでなく、速くて安全な域に入りたい。

還暦過ぎた人から20代の若者、10代もみたことあります。

一度参加すれば、多分、いちばんやってはいけないことはしなくなります。

なぜ、一回参加すれば卒業生扱いなのか、聞いたことはありませんが、なんとなく、参加した人はそれを納得している様な気がするのは、私の気のせいかなあ?

スクールだけど遊び場〜ユイレーシングスクールに参加を続けるワケ・その1〜

 初夏、と言える空気になってきました。

自宅そばの田んぼ(うちのじゃないですが)の田植えが終わり、一気にカエルが鳴き始め、うちのあじさいもそろそろです。気が早い方と遅い方があります。

 

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 前にも書きましたが、初めてユイ・レーシングスクールを受講してから、もうすぐ2年。2年前の6月にドライビングワークショップを受けたのが最初です。

前回で丁度10回と、レースが1回。

下記のようなプログラムを受講しました。

(各プログラムの説明は、私個人の参加経験による個人の印象ですので、引用ではありません。正式にはユイのホームページで御覧ください)

 

ワークショップ 3回

スラロームや八の字、ブレーキングなど基礎練習をしっかりやって、その後オーバル走行を体験する

オーバルスクール 3回

パイロンで作る大小のオーバルを走行することでスキルアップをはかる

(むちゃくちゃコーナリングの勉強になります!)

トライオーバルスクール 1回

パイロンで作るおむすび型のコースを走行する。低速コーナーとキンクとオーバルの三要素

YRSストリート 1回

パイロンで作るコースを走る。各種コーナーをバラエティ豊かに取り揃え、低速コーナーも上手く走ればストレートがキモチイイ。

ツーデースクール1回

1日目にワークショップと同じプログラムをこなし、一夜明けてフジのショートコースを1日満喫。事前指導も含め走り方やラインの読み方の勉強になり、前日のプログラムで車と仲良くなっているから、楽しい!

(ここで知った走り方や考え方を、後々事ある毎に考え直し、解釈して自分の中に落とし込むことで、最近他のサーキットが走りやすくなりました。)

スズカサーキットドライビングスクール 1回

 鈴鹿サーキットフルコースを1時間ずつ2回走ります。練習の成果を試せる。

スクールレース(フジショートコース) 1回

 スクールに一度でも参加して、ユイの方針を理解した人なら誰でも参加できます。

今年はスプリントと130分のエンデューロがありました。

 

筑波で行われているスクールは参加したことはありません。

 

 

正直申し上げて、なぜそこまでするのか、不思議に思われている方もいるかもしれない、と感じています。私自身も、スクールと言えば1回とか、いいとこ2回くらい連続して行くものだと思っていました。

スクール=タイム何秒上がる?という反応も聞いたことがありました。

スクールなんて行くよりもその分走ったほうがいいという意見もありました。

何回行ったら卒業なの?とも言われました。

特にその意見に異論を唱えるつもりはありません。

いろんな考え方あります。

ユイでも特に何か決まっていることはありませんし。

いつも会う人もいるし、たまに会う人もいます。

ともかく私はスクールに通うことを選んでフジまで行っています。

今や思いっきりリピーターです。

ユイはリピーター率が高いそうです。

 

何故ハマるのか。

楽しい。見いだせるものがある。自分に期待が持てる。

こういう感じかな?と個人的には思っています。

レース参戦者、これからサーキット走りたい人、とにかく車の運転について知りたい。

今まで様々な人と一緒になりました。

私自身がハマった理由、にあたることを、何回かに分けて書いてみようかと思います。

私の経験から、何かを感じ取っていただければ幸いです。

以前から読んでいただいている方には、少し記憶の焼き直しになるかもしれませんがご勘弁下さい。新しいことも少しずつ加えています。初心者まもがめの、少しばかりの成長の軌跡にお付き合いいただければ嬉しいです。

 

 実は、ユイ初参加の2年前の6月から、遡ること更に2年。

私が最初に参加したドライビングレッスンは、鈴鹿サーキットのSTECが行っている「ドライビングハイ」でした。

(当時、不定期開催でしたが、今確認した所、このカリキュラムはSTECのサイト上には載っていませんので、なくなったかもしれません)

ブレーキ練習、スキッド、Jターン(直線加速、減速から左巻きコーナリング)の後、スズカの南コースに移動し、1時間の練習走行でした。

 

 その後同じSTECの「中級チェック」というプログラムにも参加したことがあります。

講師の皆さん、今思い返してもほんとに運転お上手でした。

中級チェックの最後がジムカーナなんですが、若い講師のお兄さんは前後の荷重移動が凄くスムーズで助手席で感動しました。

 ドライビングハイの最後の南コースの時も、初回参加者四人は最初に講師の車で5人乗りで同乗走行。

その後ド初心者の私は志願の居残りで助手席で同乗体験。

その後自車での助手席体験まで面倒見て頂き、その再現に努めて、非常に楽しく走れました。講師が驚いておられました。

 

 

なのに、なぜその1年後、私は西浦でアンダー地獄に陥ったのでしょう…???

 

 8割くらいは私の車と運転に対する理解不足、取り組み方のせい、2割くらいはタイムを出すことが強迫観念になっていたせいだと思っています。

 せっかくのスクール体験を、脳内整理できていないから、コースが変わるとできない。  手続きを踏まずにそれにしては高すぎる速度でターンインするから、フロントがどアンダー。

という風に今では思っています。

 ユイに行くまでは、自分の知り合いと一緒に走るにはスズカに行くしか無く(一緒に行っても遅いから結局コース上では一緒にはならないのだけど)、でも、スズカは当時の私には大きすぎて、他にもいろいろ思う所あり、力をつけるまではスズカに行けないと思いました。

その「力」の目安が自分にとっては「タイム」だけだったこと…も良くなかったでしょうね…。

 

私の考え方と視野が、今より狭かったのだと思います。何も知らないくせに、独りで悩んで、独りで行動していました。

何がわからないのかも分からなかった。

周りの人が困っておられたのも記憶があります。

 なんかこう、ありますよね。

なんとかしてあげたいんだけど、本人がもうくちゃくちゃになっていて、子供じゃないから見守ることしか出来ない感じ…恥ずかしいけどそういう感じだったのではないかと思います。その時の出来事でトラウマになったこともあるし、これからはなんでも習える時代だから、最初にスクール、という考えは正解だと、経験上思います。

 

 

 その時も、独りで苦しむ私を見かねて、夫が、自分は行ってないからハッキリわからないけど、ユイレーシングスクールというところがあって、と教えてくれました。

 夫は雑誌のENGINEのドライビングレッスンの記事を見て、過去にスクールのインストラクターが雑誌に書いた記事を思い出したのだそうです。言っておられることの筋が通っている、という印象を持っていたんだそうです。

なので、そんなにサーキットやりたいなら一度行ってちゃんと習ってみたら?と薦めたそうなのですが…スズカはいきなりは参加できないとわかり、フジは遠いかなあ…

で、半年そのままに。

 でも行き詰まって、ユイのホームページを開き、Read me first的な「ユイの教科書」を読み、スポーツ走行を始めてからの、数々の出来事とそこで生まれた疑問の答えがあるような気がして申し込みました。それが最初です。

 

通いはじめて随分経ってからのことですが、夫が雑誌をとっておくタイプの人間なので、頼んで探し出してもらいました。1993,1994頃のカーグラフィックです。私はあれだけものを取っておける気持ちが未だにわかりませんが、この時は感謝(笑)

 

スクールでは殆ど話題に出ないので最初は知りませんでしたが、ユイのシニアインストラクターは、70年代にアメリカに渡り、雑誌に記事を書きながらアマチュアでレース参戦を続け、カリフォルニアチャンピオンや全米6位の戦績を持ちます。詳しくはユイのサイトのMedia infoに載っています。

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久々に助手席で

 暑い1日でした。

久しぶりに夫の助手席で1日出かけました。

滋賀県の湖西から揖斐郡藤橋村を回りました。

午前はメタセコイヤの道で、珍しい車たちのラリーエントリーの車たちの通過を待ち伏せ

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午後は藤橋城の足元で行われたイタリアンジョブ見物。

 

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暑かった〜

けど楽しかったです。