菩薩様
今朝、娘を駅まで乗せて行くのにヴイッツに乗っていて、突然、ほんとに急に、もうすぐ手放す318のエンジンの感触と音を思い出した。
私は車についてたくさんのことを知っているわけではないので、比較してものを言うには足りないとは思うけれど、E46のSOHC4気筒、経験できてよかったと思っている。
6気筒ならなおのこと、この味わいがあったのだろうなと思うのだ。
ストレート6、と話には聞いたことがある。
6気筒の音を拝んだことはないけれど、4気筒の延長線上を想像する。
6気筒を所有している方が、「菩薩様が出る」とおっしゃる。
それがわかるような気がするのだ。
いろんな場面で、あの感触に身を委ねて癒されたことがあった。
いろんなことを考慮して整理し、318を手放し、ルーテシアを入手する方向へ決めた。
318とその前に手放したプジョー307、父から引き継いだ20万キロヴイッツ。
年季の入った車たちが教えてくれることは多い。
引き取り手がついたことは本当にありがたく思っている。嬉しい。しかし手放した物の行く末に全くこだわりはない。ものも生き物もいつか朽ちる。そんなにこだわるなら自分が持っておけば良いのだ。
元相棒への愛情がプレッシャーに変わるのは困る。
縁があって引き取り手があり、そこまでを好調な相棒と、良い時間が過ごせたことが、何よりの幸せ。
古い車を維持するというのはほんとに難しいことだと思う。
ルーテシア3RS、すごくいい車だけど、距離は出ている。とにかくできるだけ早く家族に借金を返して本当に自分のものとして、素性の良さを維持できる体制を作りたい。
今まで関わって来た車たちへの贖罪と恩返しにできるだろうか。