道具感
先日から読んでいる本(くどくなるから名前もう書かない・笑)まだ読み終わらない…主婦、GW忙しいよ。
シリーズ?一作目からそうなのだけれども、筆者がよく使う言葉の中に「道具感」という言葉がある。
メカニカルなことがたくさん書いてあって、正直私のような人間には暗号を読み解くような部分もあり、不確かな理解で通り過ぎることも多くて悔しいのだけど、その中に垣間見える「道具感」という言葉に頷いた。
サスペンションの駆け込み寺、と称される筆者の仕事の中で、筆者の中に道具というものはこうあるべきだ、という確固たる考え方があるのだと思う。
そして、前号に引き続き、筆者の女性に対する評価はある意味高い(笑)
車のセッティングの感想は女性に訊け、とか、女性は力が弱いからパワーアシストが必要、という気遣いは要らない…とか。
女性としては苦笑いしながら頷いた(笑)
個人的には、女性だからブレーキを踏む踏力が弱い、というのはある意味本当である意味嘘だと思う。
今までの経験で思うのは、女性の踏力の強さ以前に、ブレーキの奥がどこまであるのかを感じたことが、車を運転しはじめて20年ちかく経って、サーキット経験者に混じって参加したドライビングレッスンまでなかった、ということが問題だということだ!
自動ブレーキを搭載した車に乗れる人はまだそんなに多くないと思う。
自動ブレーキの賛否は私にはわからない。
自動ブレーキがあればなんでも止まれる、というのは間違いだとは思う。
5年ほど前から、自分の子供たちが免許を取ったらやろうと思っている事がある。
(本人が行く気があればドライビングスクールに行かせる。それが一番いい)
人さまの迷惑にならない環境で、前方にダンボールの空箱。30〜40キロまで加速。
その後ステアリングはまっすぐ、しっかり前を見て強いブレーキを踏む。
ダンボールにできるだけ当てない。
これをやらせてみたい。無理強いはしてもいけないが、嫌だと言っても説得してみようと思う。
だって、事故を起こした場合、親も、後始末には必ず加わらなければいけないし、そのせいで本人の人生が変わることもある。それをくどくど言った所で経験がないものはわからなくて当然だと思うから。
幸い我が家は家の前でもやろうと思えばできる。
当てずに止まれるか止まれないか、ABSが入るか入らないかは最初は構わない。
動揺してステアリングを切らない。
躊躇なくブレーキを踏む。
最後まで止めようという意識を持つ。
過去の経験の中で、それが出来ていたので助かったことが二度ある。
二度目は厳密に言うと、かすった。
相手が悪かったので、車屋の社長さんがいろいろ尽力して下さった。
止めようと思わなければもう少し大変なことになっていたかもしれない。
ABSが入らなかったら止まれていたかもしれない。
ABSが入ったから止まれたのかもしれない。
あの時のABSの感触は今でも覚えている。
道具を使うのは人間だとつくづく思う。